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1980年代半ば、たまたま週刊誌で見かけたハワイのリゾート会員権募集の広告がハワイとの最初の出会いのきっかけになった。当時僕はゴルフに熱中していた。休日は相当の悪天候でない限り、ゴルフ場に出かけていた。ゴルフ会員権の購入回数も3回になっていた。そんな時、ハワイ島のボルケーノゴルフ場の株券付きハワイインターナショナルスポーティングクラブ会員権募集の広告を見つけて、衝動的に会員になってしまった。
会員権購入後まもなく一週間の夏休みを取ってハワイ島に行った。航空運賃はホノルル〜コナ間の往復航空券を含め15万円ぐらいだった。コナ空港でレンタカーを借りようとして、ある会社のカウンターで国際運転免許証を見せると、それでは貸せないと受付の女性に言われてしまった。日本の国内の免許証を見せて欲しいと言うのである。お金と時間をかけて入手したのに、国際免許証がまったく役に立たないということを知って、愕然とした。国内の免許証は持参していなかったので、別の会社のカウンターで尋ねてみると、国際免許証でもいいと言ってくれた。
その会社でレンタカーを借りて、予約していたコナのホテルに行った。チェックインする際、1泊35ドルのはずなのに、85ドル要求されたので、断固とした態度で断ると、マネジャーが現れ、結局35ドルだけの支払いで済んだが、後で考えるとその85ドルは保証金を含んだ金額だったようだった。チェックアウトの時に50ドルは返してくれることになっていたようだった。相手がしゃべる英語を理解できなかったための誤解だった。この経験が英会話の勉強を始めるきっかけになった。
翌日からボルケーノハウスというボルケーノゴルフ場の近くのホテルに移って、毎日ゴルフをした。このホテルも1泊35ドルぐらいだった。ゴルフ場の料金ははじめカート代を含め20ドルだったが、翌日からはなぜか10ドルになった。客はほとんどいなかった。年配のレッスンプロが一緒にやろうというので、一緒にラウンドした。彼は自分のドライバーの方がいいから、それでやれと言って貸してくれた。
ある日一人で始めようとしているところに、ジーパン姿にスニーカーの若い男が一緒にやろうと言って、僕のカートに乗り込んできた。受付にも行かずに来たので、料金は払っていないのだろう。何というゴルフ場だろうとびっくりした。彼はバンカーにボールを何度も入れて打ちそこない、シット、シットという言葉を繰り返していた。
近くのシーマウンテンゴルフ場にも言ってみた。提携しているので安くゴルフができることになっていたからだ。しかし受付の女性は、今回は8ドルでいいが、次回からは安くはできないと言っていた。その後二度とこれらのゴルフ場に行くことはなかった。
一週間ゴルフ三昧の日々を過ごしたが、その間ボルケーノからヒロに向かう高速道路を走ってみた。右手に住宅団地のような場所があったので、わき道に入ると、ぽつぽつ建っている家の前に、売り家の立て札が立っているものもあった。そのとき将来こんなところに住んでみたいものだとおぼろげに思ったのを記憶している。現在でも流れ続けているハワイ島南部の溶岩が流れ始めたころだった。